文章を正しく理解するには「かなりの程度の語彙が必要」である。このことを、1) 筆者の経験と 2) 論文を用いた例証と 3) 分からない語彙の意味を推測するという三つの観点から考えていこうと思います。
⑴ 筆者の経験
生徒や保護者から「模試の説明的文章が難しすぎて全く意味が分からなかった」という声をたくさん聞きました。ちなみにこの時の文章のテーマは「宗教と哲学」や「進化論」でした (たしかに難しいですね)。詳しく聞いてみると、「とにかく馴染みにのない言葉が多すぎてまるまる読めない一文さえあった」という声もありました。
「要点をつかみながら読む」という「読解の技術」を駆使すれば読めない文章ではなかったのですが、生徒にとっては「読解の技術」よりも「語彙」が優先されるのでしょう。というか、国語の講師は「一定の語彙がある」から「読解の技術」も併用できるのでしょう。哲学書を手に取って読もうとすると、1行目から意味不明で、1ページも読めなかったという経験に近いかもしれません。
文章に出てくる全ての語彙をあらかじめ知っておく必要はありませんが、馴染みのない語彙が多いと読解がほぼ不可能になることもあるのかもしれません。
⑵ 論文を用いた例証
次に論文を引用しながら語彙の重要性について考えていきます。Hu & Nation (2001) の研究では、知っている語彙が100%, 95%, 90%, 80%の物語を用意して実験参加者に読ませ、文章の理解度をテストによって調べました。結果として「80%の群で適切な理解に達した参加者はいない」、「90%や95%の群の参加者の多くは適切に理解することはできなかった」とあります。さらに、分析を加えて「適切な理解に達するには98%程度の語彙が必要なようだ」とも結論づけています。
また、前回の記事でも引用した小森他 (2004) によると、「文章理解を促進する既知語率の閾値は96%程度であった」とあります。詳細は前回の記事をご覧ください。
これらの結果から、「閾値」を「〇%以上の語彙を知っていると文章を適切に理解できる人が多くなる」という意味で用いると、96~98%くらいが「閾値」になりそうです。つまり、これから読む文章に出る語彙のうち、96~98%の語彙が持っていると文章を適切に理解できそうだということです。この数値は非常に高いものだと思われます。(ただし、上記の二つの研究は対象が小学生ではなく、第二言語を扱ったものであるうえに、受験国語には特有の問題傾向もあるため、そのまま中学受験国語に適応することはできません。)
⑶ 分からない語彙の意味を推測する
上記の論文を読んでいて考えられるのは、分からない語彙の意味を推測しながら文章を読めるのは、すでに「閾値」以上の語彙を持っていて文章の大意を適切に理解できる人だけではないかということです。簡単な例えをすると、「10 + 5 + 〇 + 5 = 30」の〇に入る数字はすぐに分かるが、「10 + △ + 〇 + 5 = 30」となると、△や〇に色んな可能性があって絞り切れないようなものでしょう。
ここから言いたいことは、「分からない言葉は推測しながら読め」と講師や大人は言うかもしれないが、それ以前に一定以上の語彙は必要であろうということです。前回の記事と結論は同じになってしまいますが、語彙を軽視せずに日々勉強したり、日々文章に触れたりできるといいですね。
以下に引用文献を載せます。英語だったり統計の知識が必要だったりで難しいですが、非常に示唆に富む論文ですので興味のある方はぜひ読んでみてください。
引用文献
小森 和子・三國 純子・近藤 安月子 (2004). 文章理解を促進する語彙知識の量的側面―—
既知語率の閾値探索の試み—— 日本語教育, 120, 83-92.
Hu, M. & Nation, P. (2000). Unknown vocabulary density and reading comprehension.
Reading in a Foreign Language, 13(1), 403-430.